SSブログ

社会科散策(政治)論述№08-精神の自由 [政治]

4-3 基本的人権の保障③-自由権(精神の自由)
※自由権=国家権力から干渉されないことをその本質とする。

〔精神の自由〕…必要最小限度の規制
①思想・良心の自由(19条)
 「思想及び良心の自由は,これを侵してはならない」
 人が心の中で何を考えまた思ったとしても,これを制限することは不可能である。従って,この自由の保障の意味は,❷「その内心の自由侵害可能な行為」からの自由を保障することにある。

❶思想・良心とはものの考え方であり,単なる事実の知不知は含まれない。ただ,事実を証言させる行為が良心を侵害することもあり,両者の区別は明確とはいえない。
❷内心の自由侵害可能な行為とは,告白を強制したり内心に反する行為を強制することである。
★具体的に問題となった事例(最高裁はいずれも合憲又は適法判断を示している)
*名誉棄損行為に対して新聞紙上に謝罪広告を掲載することを命ずる判決
*企業の採用面接で学生運動等の経歴を質問する行為(三菱樹脂事件)
*公立学校の入学式・卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の起立強制(職務命令)
 
②信教の自由(20条,89条)
 第20条は❶信教の自由を保障するとともに❷国家と宗教の分離(政教分離)を定めている。また,89条は財政面から政教分離の徹底を図っている。

信仰の自由及び宗教的行為の自由を保障する。
※具体例
*宗教上の教義を理由に公立高校の剣道の授業を拒否する行為(最高裁は学生の拒否行為を認めた)
*教会学校への出席を優先して日曜日授業参観日の授業を欠席した児童に対して「欠席記載」という不利益を課した行為(東京地裁は児童側の主張を退けた)
政教分離
〔研究〕日本国憲法は第20条及び89条において,政教分離を規定しているが,なぜ,政治と宗教は分離されなければならないのか,簡潔に答えなさい。
〔解答例①〕政治権力が特定の宗教と結びつくと,他の宗教が阻害・弾圧され,個人の宗教の自由(信仰する自由・信仰しない自由)が侵害されるからである。
〔解答例②〕真理を追求する宗教を政治に持ち込むと,妥協によって成立する民主政治が成り立たなくなるからである。
〔解答例③〕理性的な討論の場に宗教(教主の哲学)を持ち込むと政治が堕落するからである。
(解説)
 似たような問題が2015年度の同志社高等学校の入試問題に出ていたが,解答例①の解答を要求したものであった。
 戦前の日本(明治憲法下)でも宗教の自由は認められていたが,その保障は弱く法律によらなくても制限できるというもので,実際,神道が事実上国教化されていた。そのため,キリスト教やその他の新興宗教への弾圧が繰り返されていた。その反省をも踏まえて,現憲法は20条で宗教の自由・政教分離を保障するとともに89条で財政的側面からの政教分離を保障したのである。
 この政教分離については,最高裁は,両者(政治と宗教)の結びつきの程度を考慮して合憲・違憲の判断を下している(津地鎮祭訴訟=合憲,愛媛玉ぐし料訴訟=違憲)。本来,政治と宗教は厳格に分離されることが望ましいが,現代の福祉国家においては,国家が宗教団体にかかわりを持たざるを得ない場合もある。たとえば,宗教団体が運営する私立学校(小・中・高・大・幼稚園・保育園)に対しても他の私立学校と同じように補助金を交付しなければ不公平となる。結局は程度問題とならざるを得ないのである。

③表現の自由(21条)
 「集会,結社及び言論,出版その他一切の❶表現の自由は,これを保障する。❷検閲は,これをしてはならない。通信の秘密は,これを侵してはならない。」(第21条)

表現の自由に対する規制
 民主政治の根幹をなす表現の自由は最大限に尊重されなければならない。もちろん,暴動を煽動したり,他人の名誉を棄損する行為は犯罪として処罰される。しかし,その場合でも政治的表現を含む煽動や公人(政治家)の名誉やプライバシーに関わる言動を安易に処罰してしまったのでは,表現の自由を保障した意義が損なわれてしまう。したがって,表現の自由を規制する法律等の制定や適用は慎重でなければならず,また,その制定・適用に対して裁判所は厳格に審査する必要がある。

〔研究〕メディアリテラシー類題(筑波附属平成31年)
 国会議員の活動についてマスメディアからその情報を得る場合,メディアリテラシーが必要とされるのはなぜか。説明しなさい。
〔解答〕マスメディアは,それぞれの政治的立場から情報を取捨選択して国民に報道しており,その情報を無批判に受け入れることは情報操作や選好に基づく意思形成の危険があるからである。
(解説)
 メディアリテラシーとは,情報の価値を判断する能力および情報を取捨選択する能力を意味する。情報社会が進展し多種多様な情報が氾濫するなか,各個人が受け取った情報の価値を判断し,かつその情報を取捨選択する能力なくして自己決定することは難しくなっている。メディアリテラシーの欠如はマスメディアや国家の情報操作による世論形成を招く結果となる。個人を尊重する民主主義国家の実現に国民の情報批判能力は不可欠である。
 本問は,国会議員の活動についてのマスメディアの情報に対するメディアリテラシーの必要について問われている。これはマスメディアには,政府(与党)寄り,政府批判(野党)寄りの新聞やテレビが存在していることを再認識させるものといえるが,メディアリテラシーは,玉石混交の情報が飛び交うインターネット社会においてより重要なものとなっている。

検閲
 検閲とは,国家機関(行政・司法)が,表現物の内容を事前に審査し不適当と認めるものの発表を禁止する制度である。戦前の発禁制度がその典型だが,戦後では,猥褻物の税関検査や教科書検定制度などが問題となっている(最高裁はいずれも検閲や事前規制にはあたらないとしている)。
※教科書検定制度
*最高裁判決(1993年)
 最高裁は,検定制度について,教科書として合格しなくても,一般の書籍として発行することが禁止されるわけではないから,検閲にはあたらないとする(1993年)。
*近隣諸国条項
 昭和57年に中国や韓国から教科書検定に対する非難が起こり外交問題に発展したことから,日本政府は,社会科教科書の検定基準を改めて「近隣アジア諸国との国際理解と国際協調に配慮すること」という項目を加えた。
 これに対しては,「内政干渉を許す結果となった」,「日本だけにこのような条項も設けたのは不当だ」,「歴史認識や歴史直視などといった外交カードを与えてしまった」といった批判が,最近の中国や韓国の強行な姿勢(反日政策)とあいまって強くなっている。

④学問の自由と大学の自治(23条)
 学問の自由の保障をより強固なものとするために,学術の中心機関である大学には,「大学の自治」が制度的に保障されていると考えられている。即ち,学長や教授の選任,大学施設や学生の管理は大学の自主的判断に委ねられるとされている。ただ,最高裁は,学生の演劇発表会(松川事件を題材とした)については,真に学問的な研究と発表のためのものではないとして,大学の自治を享有しないとした(ポポロ事件)。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。